文章書きとは何かを考察してみる。

文章とは不思議なものです。突き詰めるときりがない。
 
語源は?言葉の由来は?そもそもこの世の中に
言葉は50音しかないのか?音の表現は50音でしか表現できないのか?
この世の中に50音以外のもので音を表現できないのか?
とか訳の分からないことを考えるとヘンになってしまう。
 
と、子供っぽい考えはとりあえず忘れて…
 
 
取材をしていると私のようにスキルの低い人間ですら
「文章を書けるなんてすごいですね」とほめてくれます。
本当にありがたいことです。
 
でも、実のところ文章を書くという作業は当然ながら
特別な行為ではありません。
 
文章の書き方はいろいろとあります。
媒体によって書き方も違います。
私はこれを〇〇文法と呼んでいます。
 
新聞なら新聞の書き方で新聞文法
 
書籍なら書籍文法
 
ウェブならウェブ文法と。
 
各々の書き方を学べば、たとえ私のように
浅い知識でも、何とか表現することができます。
だから特別な行為でも才能でもないんです。
 
特にウェブの出現によって、マスメディアは大きく変わりました。
ある社長と話しになったとき、新聞記者という仕事を珍しがってくれました。
しかし、私は正直に言いました「もう既存のマスコミは特別なものではないですよ」って。
本気になれば、伝えたいことがあれば、日本総1億2000万人が
マスメディアを持つことができる時代だから、既存のマスコミは特別ではなくなったのです。
 
こうまで言ってしまうと本業への価値を落としかねませんが、
私個人は本業の自分と区別しており、
プライベートの私は上記の考えが時代に合っていると感じています。
 
既存のメディアは、時々ウェブを敵視しますが
それは大きな間違いで、ウェブはあくまで既存のハードを補完してくれるものだと
私は感じています。
 
また、ウェブがあるからこそみんなが情報発信できる。
いいことも悪いことも。
 
結局何が言いたいかと言えば、私は文字、文章に価値があるとは思っていないということです。
既存のメディアは文字、文章に価値があると信じていますが
本当は無いものと私は思っています。
 
なんせ、文字に価値が生まれると日常の文章、会話にまで
課金するはめになるからです。
 
では、どこに価値があるのか?
答えは非常に簡単です。
 
取材を受ける側と取材する側に価値があるのです。
文章はあくまで伝達ツールでしかなく
価値があるのは人なのです。
 
私はこれまで取材した方々に個々の魅力を感じ
取材してきました。
その魅力こそが価値なのです。
 
取材する側に求める価値はただ一つです。
重宝される人間かどうかです。
 
私はまだまだ、重宝されるまで成長はしていません、
だから私にはまだ価値はない。
でも取材した相手には価値がある。
だから、文章に価値が生まれるんです。
 
ここまで長々と脈絡もなく書きましたが
結局何がいいたいか?と言えば、
個々みんなに価値がある。
だからこそ、みんなが発信する情報には価値がある。
ということです。
 
もし、文章を書くということに抵抗を感じている方がいたら
恐れずに発信してほしいです。
自分が伝えたいことは悪意さえなければ
必ず価値があるのだから。
 
ライティングは特別な能力ではありません。
才能が必要となるのは小説だけです。
 
そのほかのメディアでは才能よりも
「伝えたいことをリズムよく書くことです」
 
私はいつも
「文章はジャズで、リズムよくテンポよく会話して
ビバップすれば、必ず記事になるし、読む側もどんな
ロングな文章でも短く感じるぐらいリズム感よく
読むことができる」と言っています。
 
私ができているかといえば
できてないですが、
 
文章とはそんなものだと
ふと思ったのでアーカイブ的に
書きました。
 
まぁ、約8年もの書きをして
感じたことをつらつらと
自分を見つめなおす意味も含めて
書いてみました。
 
 
 
 
 
誰得の記事だこれ!?笑